こんにちは!
当塾には様々な理由で英語を学ぶために生徒様がやってきますが、
なかには
「そもそも、何を・どう勉強していいか分からない」
といった状態で来る子たちもいます。
私も学生時代、全く勉強していない時期がありましたので、あまりにも勉強から離れている時間が長すぎると
「何から始めていいのか分からない」
「どう勉強していいのか分からない」
「なにが分からないのか分からない」
といった状態になり、困ってしまう気持ちはとてもよく分かります。
そういった子たちに、それぞれに合わせた教材を用意し、レベルに沿った指導をし、そして学習プランを立て、応援し続けることが私の仕事ですが、
「勉強0(ゼロ)」の状態から「最初の一歩」を踏み出し、そしてこれまで遠ざけてきた勉強から逃げずに、目を背けずに、ストレスや様々な誘惑、邪念に負けずに歩み続けることはやはり難しい。
これはなにも子供に限った話ではなく、大人の我々にとっても同じことです。
何か新しいことを「始めよう!」と最初は意気揚々としていたものの、しばらく時間が経つと優先事項が変わってしまったり、忙しさにかまけて、「やらなくてもいいんじゃないか?」「自分には必要ないんじゃないか?」などと色々な思考が邪魔したりして、いつの間にかやらなくなっている、といったことは大いにあることだと思います。
もちろん、私も漏れなくそういった経験を多くしてきました。
ただ、「勉強0(ゼロ)」の状態から約1年半で早稲田大学合格まで辿り着くことが出来た、という学生時代の経験は、現在指導者という立場にある私にとって、非常に有意義なものであったと思っています。
そんな経験から、私は時に自分自身に、そして生徒たちにこういったことを問いかけたりします。
「君は自分が、平凡な人だと思う? 非凡な人だと思う?」
この記事を読んで下さっている皆さんはどうですか?
自分が平凡な人間だと思いますか?
非凡な人間だと思いますか?
恐らく、多くの人が「自分は平凡な人間である」と答えるかと思います。
ちなみに私もそうです。
そして私はそれを全く悪くない、普通のことだと思っています。
一方、大谷翔平や柳井正(ユニクロ創業者)、ジェフ・ベソス(アマゾン創業者)は間違いなく「非凡な人」でしょう。
でも、彼らは我々と全く違う人間なのでしょうか?
人間は誰しもが悩みを持っていたり、「変わりたい」と思っていたり、「何かになりたい」と思っています。
それは我々しかり、先程あげた「非凡」な人たちも同様です。
大谷翔平も我々とは違う次元で悩みを持っているでしょうし、
柳井正も、ジェフ・ベソスも、現状に満足しているわけではないでしょう。
誰しもが悩みを持ち、「変わりたい」と思っていて、「何かになりたい」と思っているのに、なぜ多くの場合その願望が叶わないのか。
理由は単純だと思います。
行動したり、何か変化を起こすことがめんどくさいから
言葉を変えれば、
行動したり、何か変化を起こすよりも、今のままでいる方が楽だから
です。
「変わりたい」「何かになりたい」と思っていても、実際多くの人は「今のままでいる」ことを心から望んでいるんです。
だって何か新しいことを始めれば新しい知識が必要だし、行動が必要だし、時間が必要だし、何か分からないことも出てくるし、これまで慣れ親しんだ生活リズムも変えなきゃいけないし、
やらない、やりたくない理由を挙げればキリがない、だから「今のまま」「これまでのまま」でいる方がいいんです。
そしてそんな「平凡」な自分から結局なにも変わらず、何も得られず、ずっと「平凡」なままでいる。
もう一度言いますが、私はそんな「平凡」が悪いとは決して思っていません。
ただ、ここまで読んで頂いた方は分かるかと思いますが、
もし「変わりたい」「何かになりたい」と思っていて、そしてそれを本気で叶えたいなら、
これまでにはない考え方、
これまでにはない行動、
これまでにはない時間の使い方、
これまでにはない生活リズムが絶対に必要なんです。
それはつまり、
いつも通りでは絶対に何も変わらない、ということです。
そして私が言っている「非凡」とはなにも天才やスーパースターのことではなく、
普段の・いつも通りの行動や考え方から脱却し、
いつもとは違う行動
いつもとは違う時間の使い方
いつもとは違う習慣作り
こういった「日常の中の些細な違い」「これまでの自分にはない違い」のとこを「非凡」と言っているのです。
なにか自分に変化を起こしたいのであれば、あなたは「非凡」でならなければならないのです。
勉強0(ゼロ)の状態から1日15分でも机に向かえばそれは「非凡なこと」です。
3日しか勉強が続かなかった人が1週間続けられればそれは「非凡なこと」です。
眠っていた単語帳を開き、10個でも新しい単語を覚えたらそれは「非凡」なことです。
勉強習慣がなかった人が、塾の課題だけでも終えられたらそれは「非凡」なことです。
勉強習慣がかった人が、塾に通うことだけでもすればそれは「非凡」なことです。
これまで勉強から遠ざかっていた子たち、
もしくは何かしらの理由で勉強が嫌いになってしまった子たち、
それでも「何かを変えたい」と思っているのなら、
なにか「違いを作りたい」と思っているのなら、
「あなたにとっての非凡」をまずは始めましょう。
ことの大小は関係ありません。
いきなりなにか大きなことを始める必要はないんです。
あなたの「平凡な人生」に「非平凡」を1つでも取り入れましょう。
その小さな積み重ねによって、
今までのあなたにない習慣が出来ます。
そしてその習慣の積み重ねによって、
無理だ、と諦めていたことが可能に思えてくるでしょう。
出来る事が増えていくことによって、
あなたが想像もしなかったあなたの未来に出逢うでしょう。
そして周りの人達が、
「あなたは非凡な人だ」と思うようになるでしょう。
さぁ、まずは何から始めますか?